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”仕事以外”のことがきつかった”海外出張”
※内容に広告・プロモーションを含みます(景品表示法施行に伴う処置)
将来のプランや、事業環境の変化に応じて自分のスキルを変化させることは大切。
しかし、何よりも大切と思うことは、家庭状況・子供の数・彼らの年齢に応じて働き方を変えることなのではないかと思われる。
この点を痛感したのはコロナ直前に海外出張に行っていたとき。子供はまだ0歳と2歳。
2週間も出張すれば、その間、家族は体調も崩すし、夜泣きもされる。子供の数が複数いれば、その分だけ体調も崩すし夜泣きもする。なんなら怪我すらもした。
子供が小さい時は、本当に家庭のバランスの維持する作業は繊細そのものだし、朝と夜の寝かしつけまでの壮絶さったら半端ない。
そんな状況の中、ワンオペを強いられたら、どんな強い妻でも参ってしまう。
『家庭があってこその仕事だよ』
とよく言うが、本当にそうで、
家庭が回ってなければ良い仕事なんてできない。
その一方、出張する自分自身は、ラインで電話するくらいしかできず無力感にさいなまれる。
ラインで良い言葉がけを家族に音声や文章で伝えようが所詮無力だ。
子供が初めて寝返りした瞬間とかも知らぬまに過ぎていたりする。
毎回出張毎に『この出張終わったらやめよう、この出張終わったらやめよう』って思っていた。
日本に残した家族、特に妻は、食事すら、忙しくて簡素にすませざるをえない。
海外の自分は極力つつましく過ごそうと思っていて、そうでもしなければ心が寄り添えない感覚があった。
そして一日一日、早く過ぎて早くダッシュで飛行機に乗り『家に帰りたい』と思っていた。
そんな生活が1,2年続いて
だましだましやっていた。
子供が小学生に上がるくらいまでは、海外営業マンとしては、この悩みからは解放されないなと考えていた。
何かを変えないといずれ家庭が回らなくなるなあと漠として思っていた。
その一方、仕事ではある程度の結果は残せたし、昇格も昇給もした。
しかしながらその道に、この『家庭状況のまま、振り切っていくのは無理だな』と思っていた。
『子供が小学生に上がれば・・』と書いたが、それまでの年単位の期間をつなげなければ、意味がないのである。
営業の仕事を続けると、『同じサイクルを回す・よりよく回す』という作業になってくる。
もちろん、仕事はお客様あってのことなので、新顧客の開拓・出会いから学ぶことも多いし、その対応に心を砕くが、
結局は、参加する事業の枠内で、毎回似たようなフレームワークやデータを作り、枠内で確からしく振舞ってくゲームを”流している”感覚もあった。
その為、営業自体を続けるとしても、家庭状況を抜きして、キャリア的に”伸び悩み”になる感覚もあった。
したがって、自分に新しいものを上積みしていくためには、何かを始めておく必要を感じていたので、
コロナ前から簿記の勉強は進めていて2020年2月には簿記2級は取得完了していた。
※簿記に関する取り組みはこちら↓
コロナのタイミングでUSCPA参入
そしてコロナが盛り上がり始めた2020年4月に、USCPAを目指すことを決め、勉強を開始した。
参入することを決めた理由は、その時点まで続けていた『会計の勉強』と『海外営業を続けてきた自分』がクロスする感覚を持てたからであり、
先々、その資格を活かして海外を拠点に仕事をし生活をする自分を実現できそうと思ったからである。
学習スタート時の意気込みはこちら
コロナで出張が減る期間もあったが、20年末以降、日本・海外を定期的に出張する生活は再び再開した。
第三子の妊娠して、異動を決意
2021年半ば、そんな生活が続く中、妻の妊娠がわかった。
2人の育児でも死ぬほどきつい時があったが、3人となると位相が変わる。
大人1人の手は2本なので、子供が3人を相手しようとすると子供1人は余る。
大人が2人いて、それぞれ子供1人に1対1したら、1人はあまる。
要するに、子供のコントロールに物理的な限界が来るのであり、
こどもをある程度”泳がせ”(・・犯人みたいだがw)、
”声”とか”しつけ”とかでコントロールしなければならないから育児負荷のハードルはアップする。
その為、
妊娠段階からより一層自分が働き方を変えないといけないタイミングがすぐ目の前に迫っていることを理解した。
そこで、あるプロジェクトが一区切りついた段階で、会社にも事情を説明し、会計を生かせる仕事をさせてほしいとお願いした。
そして役員にも掛け合って受け入れてもらった。
その時はUSCPA2科目合格の段階だったが、それだけでも十分説得力があったので調整出来た。
無論、簿記2級でも社内トランスファーの資格的には十分だっただろうが、
CPA科目取得はオーバー気味に説得材料になったと思われる。
そしてCPAにしっかり取り組んだことで、より会計を濃密に学び、頭の中にBSとPLとCFが組み合わさり、
なんというか “ルービックキューブ”のように頭の中でくるくる動く感覚がある笑
※実際、執筆時点の今になって振り返ると、3人目の出産前後に経理に異動して業務時間をコントロールできて、
今この瞬間も含め、第三子と向き合うことができる時間を作ることができて本当に良かったと思っている。この点は別途述べたいと思っている。
経理の仕事の面白さ
中小規模の会社の経理であれば、
財務会計・管理会計・予算・会社設立・財務・税務・決算対応・株主対応等の多くのトピックに触れられる。
営業出身の自分がまず入っていきやすいなあと感じたのは、ファイナンス(財務)と管理会計。
例えば財務の場合、投資計画のためにキャッシュフロー計画を作れば、必然的に営業的キャッシュフローも検討する必要があり、そのフローは肌感覚としてお金の動き方がわかるので、自分の言葉で計画できる感覚がある。
そこに投資キャッシュフローや財務キャッシュフローを加わる。キャッシュフローを整理するとPL,BSも連動して動く感覚が身につく。
また管理会計であれば、会社の収益構造を売上、変動費、固定費に分解すると、
今までは自分が営業として、限界利益(売上ー変動費)を生み出す立場の一員であり、管理職として、部分的に採用に関わり固定費を構成する立場にいたからこそ、
事業の動きとお金の動きが複層的に見える。
仮にExcelで限界利益と固定費の線を引いてグラフで表現するならば、その変化が明瞭に見える感覚がある。
これらにはUSCPAのBECで学習したことがすごく活きている。
もちろん、財務会計や決算、移転価格などのトピックも新鮮そのものである。
ちなみに海外で働いていきたいという思いから、海外の拠点の求人も引き続きみている。
当然営業スタッフの求人もあるが、管理スタッフの求人も多い。
経理分野で経験を積むことで、それらの求人も射程圏内に入っていく感覚を期待できる。
この点は執筆時点の今、力を溜めてチャンスを虎視眈々と待つフェーズかもしれない。
※また営業や管理拠点が置かれる地域は比較的都市というか交通が発達しているというか、家族と赴任しても住みやすいのではと思える時が多い。
家族状況は変化、”一直線”のキャリアはあり得ない→育児楽しめ
徒然に書いたが、子どもが小さい時のサラリーマンは、やっぱり家庭の状況に応じて働き方を微調整していくことが重要だと思っている。
働き方を見直す中で、本来”外を回ってなんぼ”の営業が外を回れないとなると
その人間を評価するものがなくなってしまう。
評価する軸自体を変えるために、別のスキル(自分の場合であれば会計=USCPA)を生かしてポジション自体を変えるのは大切と考える。
今回私が選んだのはそういう方法であり、これが会社との交渉材料になった。もちろん違う会社に転職するのも良いだろう。
そして子供が小さい時は妻と団結してだましだましでも乗り切ること。
今はキャリアの踊り場として、そこで屈伸しながら溜めた知識とエネルギーを30代半ば・後半になったときにジャンプさせ爆発させればよい。
それくらいの割り切りをする心境になっている(まあ転職の願望は常に頭をもたげるが)。
いずれせよ子供がたくさんいて小さいならば、
家族として無理できないので割り切って、育児も楽しめば良い。
率直にいって、第3子の日々の成長を細やかにみることができる今は幸せである。
欲を言えば、上の2人の時にも、と思うが過ぎ去った時間は帰ってこない。
今を一生懸命生きるのである。
仕事で遅くなっても出張続きならば、帰宅する先はホテルであるが、
経理ならば家に帰れる。寝かしつけや夜泣きは助けられる。
長文となりました。以上お読みいただき誠にありがとうございました。
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